欧米の戦争博物館や遺跡を訪ねて


はじめに

 世界史の授業中に,「先生は,まるで見てきたように話をするけど,本当に見てきたのですか?」などと生徒に言われてアセることがある。まあ実際,かなりの「見てきたようなウソ」をしゃべっているのには間違いない。
 もちろん,「見なければ教えられない」ということはないと思う。しかし確かに,本などから得た知識だけでは説得力に欠けることもある。
 やはりその場に行って,自分のからだで感じてくることが大切なのだ。
 特に戦争というテーマについては,経験的に語ることの難しさと必要性を痛感してきた。だからこそ,今まで戦争に関する博物館や遺跡を積極的に訪ねてきたのである。
 ここでは,欧米の戦争博物館や戦争遺跡についていくつかを紹介させていただこうと思う。


1 アメリカの場合

 


 ワシントンの中心部の公園で,兵士の群像と出くわした。かなり異様な風景である。このポンチョを着た兵士たちのモニュメントは,朝鮮戦争におけるアメリカ軍の困難な行軍の様子を再現している。


 その奥にある犠牲者追悼の碑には,”FREEDOM IS NOT FREE”と刻まれている。「自由はタダではない」,つまり君たちが自由に暮らせるのは多くの兵士たちの犠牲があったからなのだ,と訴えている。
 

 

 こういった「アメリカという国家が成り立つためには戦争が必要であった」とか,「アメリカは正義の戦争を戦ってきた」というメッセージを発信する場所が,ワシントンには至る所にある。

例えば,アーリントンの「硫黄島の記念碑」や墓碑が延々と続く広大な国立墓地などを歩くと,やはりワシントンは,アメリカ国民の再教育の場としての役割を担っている場なのだと感じる。

なんといっても,アメリカは移民の国である。ここでは,慣習や文化が異なる人々が「自由」に暮らしている。だからこそ,国民を統合する価値観を確認する場所が必要なのであろう。



ワシントンには,有名なスミソニアン博物館がある。この中の国立航空宇宙博物館には,第二次大戦中の各国の軍用機などが展示してあるのだが,日本などの旧敵国は,どのように扱われているのだろうか。

意外なことに,真珠湾攻撃を描いた大きな絵(日本人はまるで西部劇のインディアンのようだ)が飾られている。また,日本のエースパイロット(撃墜王)についても,列国に引けをとらずに紹介されている。
 やはりアメリカの敵役はある程度強くなければならないのであり,その強い敵と戦って勝ったことに価値がある(ハリウッド映画のように)ということか。



この国立航空宇宙博物館の別館が,ワシントンの郊外にある。そこには,広島に原爆を投下したB29(通称エノラゲイ)が展示してある。巨大な29がすっぽり納まるほどの広大な施設である。

磨き上げられたB29は,まるで新品同様である。この飛行機は,現代の目から見てもハイテクノロジーの固まりと思えるのだから,当時としては,まったく新世代の飛行機であったに違いない。



 このB29の下には,旧世代の日本の飛行機が対照的に展示してある。特攻兵器「桜花」や斜め銃を装備した「月光」などである。アメリカの技術力の優位性を誇らしく展示している。比べてみると,彼我の技術力の差はあまりにも歴然として,悲しくなるほどである。


 エノラゲイの原爆投下については,「1945年8月6日に原子爆弾を広島に投下し,その数日後に日本は降伏した」とだけ書かれている。原爆投下は,あくまでも日本を降伏させるための正当な行為であったという表現である。おそらくこの展示を見る人々は,原爆の被害などに思いをはせることはないであろう。




2 イギリスの場合

 

F:\ロンドン\DSC01267.JPGロンドンの帝国戦争博物館(Imperial War Museum)は,外観は古めかしいのだが,中は広大で近代的な博物館である。
 まず,第一次世界大戦に関する展示が多いことに驚く。日本人には第一次世界大戦の印象は薄い。しかしイギリスでは”Great War”と呼ばれ,第二次世界大戦と同等かそれ以上に重要な戦争である。
 前線の戦闘状況がリアルに実物大で再現されていて,塹壕の中を歩き回ることができる。戦場を体感的に理解させようとする,大規模な展示である。




 第二次世界大戦において,本国の市民生活が戦争とは無関係だったアメリカと違い,
ロンドンはドイツ軍の空襲を受けたので,戦争が市民生活へ与えた影響は大きかった。それゆえ,戦時下の暮らしも多数紹介されている。ドイツ軍の毒ガス攻撃に備えての子供用(赤ん坊用)のガスマスクなどもあれば,実際の家を丸ごと使って戦時下の生活をそのまま再現している。こうした展示には,困難な生活に耐えてヒトラーに勝利したという,民衆の戦争体験が鮮明に表現されている。ただ,同じように空襲に耐えた日本人の悲惨な生活状況と比べて余裕が感じられるのは,戦勝国と敗戦国,空襲の規模,そして戦争への対応能力の違いだろうか。

また,ヒトラーに妥協した宥和政策の典型といわれるミュンヘン会談についての展示では,風刺マンガなどを用いて自分たちの失敗を笑い物にしているところが,なかなか興味深い。



 旧敵国の日本に対しては,厳しい見方をしているように感じる。日本との戦争についての展示では,特に捕虜収容所において,過酷で非人道的な扱いを受けたことが訴えられている。




 一方,原爆については,長崎の被爆者の写真も展示されているなど,アメリカよりは詳しく展示されている。しかし全体としては,極めて小さな扱いである。



 ロンドンから南西80qのところに,世界最大級の規模を持つボーヴィントン戦車博物館があり,古今東西の様々な戦車が展示されている。

こんなに遠くまでわざわざ「戦車」を見に行くのは,戦争について概念だけで語りたくないからである。ここで本物の戦車を見ていると,この巨大な鉄の固まりを動かすことだけでも,大変な困難と労力であったことが実感される。ましてやこの戦車の中の狭いスペースに乗り込んで戦うことになったら,どれだけつらく恐ろしいことだろう。


F:\欧米の平和博物館を訪ねて\IMG_0857.jpg

世界で初めて戦車を造ったのはイギリス人である。戦車のことを「タンク」というのは,開発を敵に知られないように暗号として使った言葉からきている。第一次世界大戦中の前線に出現した戦車の様子が,ここでもやはり実物大の大きなディオラマで再現されている。




3 ドイツの場合


ミュンヘンの中心部にフェルトファレンハレ(Feldherrnhalle)という建物がある。戦没者を追悼する場所であり,日本で言えば靖国神社のような位置づけになる。第一次世界大戦開戦の際はこの建物前に熱狂した群衆が集まり,またヒトラーのミュンヘン一揆の場所ともなった。このいわば「神聖な」場所に行ってみると,なんとゴミだらけであり,まったく敬意が払われていないことに驚く。今のドイツでは,ナチスやプロイセン的軍国主義が徹底的に否定されていることを強く感じた。



ミュンヘンは,ナチス発祥の地である。ナチス党や突撃隊などの建造物が,今もまだ残っている。ただこれらの建物は,一部には戦争中の砲撃と思われる弾痕が残っているように,荒れ果てた形で残されている。おそらく戦争の悲惨さや,ナチスの罪を忘れないために,あえてそのままで残しているのであろう。





 ミュンヘンには,ドイツ博物館(Deutsches Museum)という科学技術の博物館がある。あまり戦争とは関係ない博物館なのであるが,その中の船に関する展示の部屋の壁にある,第一次世界大戦当時の写真に目を引かれた。ヴィルヘルム2世が,軍艦の上で海軍の兵士たちと共に写っている写真である。この写真の皇帝の肖像の部分が,来館した多くの人々のツメにこすられて削りとられている。皇帝やプロイセン軍国主義への反感が,草の根的に存在していることがよくわかる。


 
 
 このように,ミュンヘンでは,ナチスや軍国主義に対する否定や反省が随所に見られる一方,抵抗運動の痕跡も残されている。『白バラは散らず』で有名なショル兄弟は,ミュンヘン大学の学生で反ナチ運動をして処刑された。ビラをまいた場所には花が置かれ,彼らのことを説明するプレートが石畳に埋め込まれている。





 ミュンヘンの北西16qには,ダッハウ強制収容所がある。電車とバスで行くことができる距離である。

ナチスの強制収容所に共通したスローガンであったArbeit macht frei(働けば自由になる)と書かれた門を入ると,広大な敷地が広がっている。アメリカ軍がここを解放した時には,およそ3万人以上の人が収容されていたという。ユダヤ人・レジスタンス・聖職者・共産党員・ソ連軍の捕虜などがここに入れられた。



人々が押し込まれた収容所の建物は,二つだけ再建され,それ以外は土台だけが残っている。親衛隊(SS)が使っていた建物は,博物館となっており,また異なる宗教のために4つの礼拝堂が設けられている。



収容所の奥には,Krematoriumすなわち「火葬場」があり,石に刻まれた”DENKT DARAN WIE WIR HIER STARBEN”「ここで我々がどのように死んだのか考えろ」という言葉には,強い衝撃を受けた。



 それにしても,ドイツ人は徹底している。ナチスの犯罪的行為をここまで展示して,自分たちの過去の罪をはっきりさせるということが,戦後のドイツ社会の共通理解になっているのだ。ドイツ人自身も,よほどの痛みを感じなければ,このような展示はできないはずであるが,彼らはそうする道を選んだといえよう。よく言われることであるが,同じ敗戦国である日本とドイツの,戦争に向かいあう態度の大きな違いを感じた。




おわりに

 今まで訪ねたことのある,アメリカ・イギリス・ドイツの戦争博物館や戦争遺跡のいくつかを紹介させていただいた。
 戦争に関する博物館や遺跡は,それぞれの国や社会のあり方と密接に結びついており,そこで訴えられるメッセージは,国や社会によって大きく異なる。
 そこで人々が教育され,価値観が常に生み出されていることも重要な点である。つまり,肯定的であれ,否定的であれ,ある種の価値観がそこにあり,訪れる人々は自然に共通理解を求められていく。


それゆえ,戦争博物館や戦争遺跡は,その国や社会のあり方を映す鏡である。だから,戦争博物館や戦争遺跡を訪ねることで,その国や社会のあり方を知ることができるともいえよう。


また,日本の戦争博物館や遺跡の状況と欧米を比べると,特に「ものを残すことへの現実的な努力」という点で,我々がかなり不足していることを感じた。やはり,「事実を目の前にすることができる」というのは,とても大切なことである。
 だから日本にも,様々なかたちで過去の戦争を追体験し考えることのできる施設や場所がもっとあるべきだと思う。特に,戦争体験者の方々が年々少なくなる中でそのような取り組みは急務であろう。
 


 本稿の内容は2009年4月19日に山梨平和ミュージアムで「博物館が伝える戦争と平和」という題で行った講演を文章化したものです。


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