★会いたい! 戦争遺跡訪ねる高校教諭・山口正晃さん2010年03月01日
■実感と事実 生徒に伝える 歯切れの良い言葉の一つひとつを支えるのは、体験から得た確かな実感だ。 「歴史という事実を、より身近に、日常として考えてもらいたい」。世界史の高校教師として、これまで米国のスミソニアン博物館や、ドイツにあるユダヤ人の強制収容所など、世界各地の戦争を伝える博物館や遺跡を訪れてきた。戦争を直接物語る場所に足を運ぶことで、生徒に伝えられるものがあると考えたからだ。 子どもの頃に見た戦争映画が今でも記憶に強く残る。そこには「正義の味方」がいて、次々に「悪者」を銃殺していく。ふと思った。「殺される兵隊たちにも家族がいるんじゃないか」。単純な構図では収まりきらない歴史の真実に興味を持ち、高校教師の道を歩んだ。 教師になりたての頃から思い描いていた博物館・遺跡巡りを始めたのは40代になってから。子育てにめどが立ち、時間とお金に余裕が出始めた時期だった。現地を訪れ、当時の人たちの思いに寄り添ってきた。歴史をより身近なものとしてとらえることで、自分自身も何かを感じたかった。 例えば、米国・ワシントン。朝鮮戦争の犠牲者追悼の碑に書かれた「FREEDOM IS NOT FREE」(自由はただではない)、広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラゲイ」を展示する博物館――。今でも戦争が日常として存在する米国では、「犠牲があるからこそ、今の自由がある」というメッセージが至る所に散らばっていた。 各地で得た実感を日本に持ち帰った時、感じることがある。戦争の話をタブー視し、「残虐、悲惨、悲しい出来事」と感情論にしてしまう。日本人は戦争という事実としっかりと向き合ってきたのかという疑問が頭をよぎった。「良い悪いではない。日本人がこれまで何をしてきたのか。その意味を、実感を持って知っていかなければならない」 戦後65年。長い歳月が流れ、戦争体験者の大半は教壇を去った。書物では伝わらない、直接、見て感じられる場所に立つことで、生徒に教えられることがある。そんな次世代の教師像を模索する旅はこれからも続く。(岡戸佑樹) |
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