B29の模型ができるまで
山梨平和ミュージアム理事長の浅川保先生には,高校時代に日本史を教えていただいた。その後私は世界史の教員になり,引き続きお世話になったのだが,「山口君,平和博物館をつくりたいね」と先生はよく言われていた。しかし私は失礼ながら,そんなことは無理だろうとタカをくくっていた。
ところが数年前,テレビを観ていて驚いた。なんと先生が,平和博物館建設のために退職金を提供するという話をされているではないか。
先生は本気だったのだ!
私は自らの不明を恥じ,何かお役に立てることはないかと考えて電話した。そしてその場の勢いで,「甲府空襲の展示用にB29を作ります」と,つい言ってしまった。
これが苦難のはじまりだった。
私は最初,小さい物でと軽く考えていたのだが,先生は大きくなければと言う。期待を裏切るわけにはいかない。
まずは,素材探しから始まった。アメリカ製の巨大な模型があるらしい。それをなんとか手に入れて安心したのも束の間,その大きさと古さは手強く,悪戦苦闘の日々が1年半もの間続いた。
ところがこの模型制作は,多くの思いがけない出会いを私に与えてくれたのであった。
例えば尾翼の識別マークが分からず困っていた時は,航空評論家の諸星廣夫さんから資料をいただくことができた。
また,制作中から実物が見たいという気持ちが徐々に高まり,とうとうワシントンのスミソニアン博物館にまで出かけてしまった。その際息子と一緒に旅ができたのも,大きな収穫であった。
さらにその体験を,平和ミュージアムで「海外の戦争博物館」と題して発表したのだが,その時の聴衆の中には我が娘がいた。結果として,多少は父の株が上がったらしい。
思えば浅川先生に電話した時に,「B29の模型を作る」などと宣言しなければ,こんなに嬉しい経験をすることはなかったであろう。
先生は日頃,自らを「種蒔く人」と言われていた。実際,たまたま蒔かれた種は,多くの実をつけたのである。
これからも,この平和ミュージアムという場に種が蒔かれ,様々な出会いや交流の実がなることを大いに期待している。ただし,注文で模型を作るのはもうコリゴリであるが....。